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家庭医・プライマリケア医のためのアメリカ・米国臨床留学への道
それは一つのとても大きな挑戦です

ここではみなさんがよくされる質問「いつ頃、アメリカの試験の勉強をされたのですか?」「どういう日程でアメリカに行かれたのですか」「どのように英語を勉強されたのですか」等について僕の過ごした医学部生活6年間を振り返ってみることにします。

1年生:
ESS(英会話サークル)に入部し、自分の名前も自己紹介も英語でいえないことにショックを受ける→英語を喋れるようになろうと決意する→ヒヤリングマラソンのテープを冬に購入し、毎日2-3時間聞き続けてみた。勉強は教養だけだったので普通にがんばった程度だった。

2年生:
7-8月にかけて1ヶ月間、知り合いを通じてホームステイをさせてもらった。ちょうど、知り合いにドクターがいたので、病院を案内してもらった。思えば、これがアメリカを目指すきっかけとなったといえると思う。春休みに再び、訪れステイ先の子供たちと遊びながら英語を学んだ。病院も知り合いのナースに連れて行ってもらってちょっと見学。将来、アメリカの試験を受けることを意識して英語の教科書などを買ってみたが、ほとんど読むことはなく終わってしまった。

3年生:
夏に1ヶ月ほどホームステイをさせてもらい、ひたすら英語の勉強に励んだ。一方で所属するオーケストラ部でファゴットの練習と音を聞き分ける練習に時間を費やした。病理学や薬理学の教科書は英語のものを手に入れ、できる限り読もうと努力してみた。

4年生:
オーケストラで部長をすることになり、練習で忙しく、春、夏を通じてアメリカに行くことはできなかった。春から臨床講義が始まり、知らないことだらけだったので「今年1年は日本語で勉強しよう」と決め、春から内科チャートシリーズや外科テキストなどを読みふけった。一方で、ファゴットの練習に明け暮れた。

5年生:
BSTが始まった。できる限り、英語で勉強しようと決意した1年であった。友達と一緒に勉強会も始めた。思えば、この勉強会がどれほど後に貴重なものだったか、アプローチの臨床問題を中心に解いていった。<BR>
7-8月イリノイ大学ピオリア校Family Practiceに見学する機会に恵まれ、Family
Practiceやアメリカの病院について知る機会を得た。

11月毎年1回ずつ受験していたTOEFLがようやく合格ラインを超えて一安心。ステップ1に向けて本格的に勉強を開始した。BSTの合間を縫ってはステップ1の問題集を解きまくって瞬く間に時間が過ぎていった。春休み1ヶ月を利用して最後の追い込みを行った。

6年生:
 4月ステップ1を受験。たくさん勉強したつもりであったが、とても難しくてもうどうでもいいや、と思ったりもしたが、何とかぎりぎりで合格することができた。

 5月は選択実習で山梨県塩山市で実習をさせてもらい、将来は山梨で開業し地域医療に貢献していこうと決めた。一方でステップ2の勉強をしていた。
 
6月1ヶ月早めの夏休みをとり、ステップ2の勉強に追い込みをかけて、6月下旬渡米する直前にステップ2を受験。これも何とかぎりぎりで合格。

 7月-10月約3ヶ月半に渡る内科学クラークシップをイリノイ大学ピオリア校で医学部3年生と一緒に行う。詳しくは実習報告を読んでください。英語がわからなくて、患者さんとうまく話せなくて、ドクターの会話がわからなくて、とにかく、忙しく、大変な3ヶ月でした。ちょうど、テロがあった時期でもあり、多くの方に心配をしていただいて、僕も来年どうなってしまうのか、不安だった時期でした。

 11月CSAを受験するため、カプランのCSAレビューコースをニューヨークで受講しました。グランドゼロにも足を運び、犠牲者やその家族のために祈らせていただきました。そして、下旬にフェラデルフィアでCSAを受験。

 12月卒業試験まで2週間半。かなりまじめに、本気で、一生懸命勉強しました。無事合格、卒業決定。

 1-2月再びアメリカへ戻り、イリノイ大学ピオリア校で医学部4年生としてサブインターンに参加。Family Practiceを回った。同時に、レジデントポジションゲットのため、インタビューにも参加。

 3月国家試験まであと2週間半と言うところで帰国。さすがにあせって勉強しました。。今年、国家試験を受験する学生のうちもっとも勉強していない部類に入る自身がありました。結局、模試を解いて復習をしていたら終わってしまい、直前に受けたTECOMの講習に随分と助けられました。試験は一般問題が難しく、落ちるならばこれかなあ、と内心心配しておりましたが、何とかこれも切り抜け無事に合格しました。試験3日目の夜アメリカのレジデントマッチング発表があり、予想通り、マッチできませんでした。翌日の夜中からスクランブル(いわゆる後期日程見たいなもの)が始まり、5時間後にポジジョンをゲット。大きな山を乗り越えました。そして、卒業式にはお世話になった先生方へ結果報告を無事に済ますことができました。

 4月国家試験の発表があり、今までの人生の中でもっとも自分をほめた一瞬だったでしょう。日本とアメリカの医師資格を同時に取得するという大きな目標を達成し、尚且つ、レジデントのポジションも手に入れられたのですから。
 5月渡米し、アパート探しや引越しで忙しく、リラックスする予定がなかなかそうでもいられない、といった感じで、現在に至る


伊藤彰洋
2002年5月30日