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家庭医・プライマリケア医のためのアメリカ・米国臨床留学への道
それは一つのとても大きな挑戦です

Family Practice Service

05/01/03

4月はFPTS, family practice teaching serviceだった。1年次は3ヶ月間のFPTSが義務付けられている。今回が3度目だし、研修にもなれてきて無事に過ごせるかなと思ったが、とんでもなく忙しい1ヶ月を過ごした。今までで最も忙しい月であったし、毎回当直がこれほどまで忙しかった記憶は過去にない。なぜだろうと考えてみたが、その1つは僕らのプログラムが毎年、毎月のように成長し続けていることがあげられると思う。この成長という意味は患者数が増えていっていることを意味する。数年前からCCHCという無料診療所の入院患者もFPTSで扱うようになったので入院患者数も一気に増えていった。今では40〜50%がCCHCからの患者だ。ほんの7年前までは毎日1,2人しか入院患者がいなかったという。今ではそれが嘘のようだ。平均5〜8人の入院、お産、OBトリアージが日課となっている。お産の件数も数年前にくらべて格段に増えていっている。それはCCHCをはじめいくつかの無料診療所の妊婦検診を請け負っており、毎年患者数が増える一方だからだ。米国には数百というFPプログラムがあるが、このように目に見える形で成長し続けているプログラムは少ないのではないかと思う。

一方で受け持ちの患者の治療について大きなミスをしてしまった月でもあった。原因の1つは忙しすぎてしまったことがある。患者数が多くなればなるほど、1人にかけられる時間数が減り、ミスも多くなる。しかも、当直明けでほとんど寝ていない状態だとなおさらだ。そして、午後は当直でない日は外来クリニックがある。クリニックがあると、入院患者の午後の状態をカバーしづらくなり、治療が遅れがちになってしまう。夜は帰ってくるとぐったりと疲れきり、勉強する気にもならずに寝てしまう。お陰で次の朝、不十分な知識のまま患者を診ることになる。その繰り返しで1ヶ月が過ぎてしまった。反省する点が多い月でもあった。本来ならば分からないこと、知識の不足はその日のうちに補い、次の日に備える、それだけのゆとりと勉強する時間が確保されているはずなのだか、うまく機能しなかった。実践で学びながらも机上できちんと最新の知識を整理していかなければ、本当の実力は身につかないというのに・・・

最も緊張した一瞬もあった。HIV陽性の妊婦が早期破水の疑いでOBトリアージに来た。スペキュラムをして、粘液がプーリングしていること、シダ状にクリスタルがなっていること、内診して子宮頚が開いていることを確認しなければいけない。やや赤みを帯びている粘液を見ながら手袋をはめて、用心深く、手袋を破らないように、どんな粘液も自分の皮膚には接触させないようにと緊張した瞬間だった。ただ、この出産を担当したシニアレジデントの疲労は僕の比ではないであろうと想像される。

感心させられる事もあった月だった。指導教官の1人が妊婦で予定日まで2週間というのに毎日一緒にラウンドをしていた。週末のある1日、朝から夕方まで一緒に回っていると、エレベーターを使わずにいつも階段を使っているのである。息を切らせながらも、健康のため、赤ちゃんのためにとせっせと歩いている。周りのナースからいつ出産日?としきりに聞かれる。それほどお腹が大きいのだ。夜の当直でもポケベルに睡眠を邪魔されながらも丁寧に対応してくれる。そして、昨日の夜当直でいっしょにラウンドしていたあと、夜中から陣痛がはじまり、急遽、夜の当直を交代した。次の朝、破水をした後にもラウンドを続け、午後に出産した。予定ではあと2日間ラウンドをする予定だったが、妊婦は時期を選べない、それが自然の法則だから仕方ない。FPドクターとしてだけではなく、2児の母親として、家庭も大切にしながら、頑張っている姿を見ることができたからだろうか、分娩前日まで指導教官として忙しいFPTSを取り仕切っていた妊婦ドクター、彼女のパワーあふれるラウンドをみていると、なぜか自分も勇気付けられた。

今月はICUローテーションだ。ACLSが必要な場面に出くわす機会が最も多く、とてもストレスな所と噂される。どうなるか楽しみだ。

3/3/03
早いもので、研修をはじめてあっという間に半年が過ぎてしまいました。ある先生に、最初の半年が辛くて大変だから頑張ってね、といわれてましたが、過ぎてみれば、逆に英語にもますます慣れてきてみんなと議論を言い合えるようになってきて、非常に楽しく研修をさせてもらっています。週末はきちんと休みがもらえて、リフレッシュもきちんとできます。

久しぶりに実習報告改め、研修報告を書きます。毎週書くつもりが、すっかりご無沙汰してしまいました。今回は1月のFPTS(Family practice teaching service)についてです。これは我がプログラムで診ている患者1万4千人ほどの内、病院に入院が必要な患者をケアするサービスで僕らのローテーションの中では最も急がしいうちの1つです。1,2年目は1年のうち3ヶ月間回ることが義務付けられています。当直(新入院を扱う日で24時間制)は4日に1度のペースでつきに7−8回ほどあります。一年の内でも1,2月がもっとも忙しいといわれ、僕がいた1月の第2週目には1週間の入院が合計で50人を超えるという状況で、1週間で入院した患者数の記録を更新しました。今回はもっとも忙しかった当直であり、半年間の研修の成果を実感できた1日をご紹介します。

当直の朝、いつものように回診をしていると小児が呼吸困難で入院が必要になった、とERから連絡があり、ERへ足を運んだら、もう1人小児の肺炎疑いで入院が必要になった、と連絡を受け、朝からやけに忙しいなあ、と思いながらERで入院の手続きをしていると、消化管出血で運ばれてきた大人が入院することになった、ともう1つの別の病院のERから連絡を受けた。早速、一緒に当直をする予定の医学生(4年生)に連絡し、先に見に行ってもらうことにした。いつものモーニングラウンドが朝9時からはじまり、出席しなくてはいけないのだが、そんな暇はなく、入院の手続きに追われていて、気が付いたら11時を回っていた。(一人の入院手続きには問診、診察、入院オーダー、カルテ書き、指導教官への連絡、ディクテイションが含まれ、約2時間ほどかかってしまう。)ようやく一息ついてお昼を食べ終わったらまた、ポケベルが鳴った。今度はOBトリアージだった。(OBトリアージとは妊婦に関するER的な仕事を意味する。妊婦だけはERでも特別扱いで普通はERでは診ない。産科病棟にそれ専用の部屋が用意されており、そこで入院が必要かどうか、産科担当のドクターが判断する。FPTSでは当直が1つの病院のOBトリアージも担当する。)1人目は陣痛が始まったようだ、といってきたので、モニターをつけ、しばらく観察することにした。その内、もう1人別の妊婦が運ばれてきた。この妊婦も陣痛が始まった、といってきた。1人目はCervix(子宮頚部)の変化が見られなかったので、そのまま家へ帰した。2人目はCervixが4cm以上開いていて変化も見られ、陣痛も定期的に始まったので入院することになった。入院の手続きを終え、部屋に移り終えたところで、また、ポケベルがなった。今度は先ほど家に帰した妊婦が陣痛が強くなった、といってまだ戻ってきたのだ。また、しばらくモニターしてCervixを調べると4cm何とかあったので、入院することになった。すでに夕方の4時ごろを過ぎていたと思う。妊婦の場合、お産まで毎2時間置きに様子をカルテに書かなければいけない。たとえ、夜中でも。午後7時ごろにナースから1人目の妊婦がCervixが十分に開いて、力む準備ができた、と連絡があった。さあ、一仕事だ、と指導教官に連絡を入れ、ガウン、マスク、をつけ、出産の準備に入る。難なく出産し、赤ん坊も元気だった。この出産は指導教官の個人的な知り合いの出産だったのでただ、出産の介助をしただけだった。カルテを書き終えてみれば、22時を回っていた。当直室で仮眠をとりつつ、2時間置きに起きて、もう1人の妊婦の様子を見に行った。朝の4時になり、ERから連絡が入った。小児が呼吸困難と下痢で入院が必要になった、と。ERへ医学生を連れていき(彼は、産科は嫌い、ということでこれには一切タッチしていなかった)、一緒に入院の手続きをしているともう1人小児の入院がある、と言われ、頭をぼっとさせながら仕事をしていると、産科病棟からCervixがCompleteになり、力む準備ができた、と連絡が入った。(普通この状態になると一刻を争ってその場に駆けつけなければいけない。)急いで指導教官に連絡を入れ、医学生に小児の入院を任せ、産科病棟へ駆けつけた。初産婦だったので、多少時間はかかったが、何とか無事に元気な男の子を出産した。実はこれが僕1人で取り上げた初めての赤ちゃん坊だった。(それまでは指導教官の助けを借りながらのお産だった)時計をみると、朝の6時を回っていた。小児病棟へ戻り、先ほど入院した小児たちのカルテを書いていると、指導教官がやってきた。「アキ、昨日は忙しかったみたいだな、一人で何でもやってしまったのか」と。彼は前日、昼間だけ当直担当の指導教官だった。モーニングランドの後、ヘトヘトになりながら、家へ帰って爆睡した。当直後は基本的に午前中で仕事を終らせて家へ帰ることができる。次の日は、自分で取り上げた赤ん坊のCircumcisionをして、母子共に元気な姿で家へ送り返した。(米国では出産後2日で退院する)

このような忙しい病棟の合間を縫って週に半日か1日、外来のクリニックがある。そして、外来で退院した患者をフォローアップしていくことになる。

研修はFPTSから始まり、小児科、内科、外科外来、産科と終えて、FPTSへ戻ってきました。最初は小児の点滴量も妊婦の診察などまったく知らないことだらけでしたが、一通りの研修を終えて、戻ってきたので何をするにもある程度自信をもってすることができました。Family Practiceと呼ばれるように新生児の世話から小児や成人の入院やお産までしてしまう、それを何とかこなしている自分の成長ぶりに感動した1ヶ月でもありました。去年、学生実習中にシニアレジデントがICUの患者を診ながら、お産だ、といって産科病棟へ駆け込んで行ったり、外来のクリニックをせっせとこなしているのを見て、ほんとにいろいろとやるんだなあ、と思っていましたが、自分で似たようなことをしている今現在、少しはFPらしくなってきたかなと思い、うれしく思います。


8/30/02

最初の1ヶ月を終えて〜家庭医の姿を求めて〜

この1ヶ月FPSにいて思ったことは家庭医としての研修に絶対に産婦人科、特に、prenatal care,分娩、postpertum care,新生児ケア、を入れる必要があるだろうなあと思いました。開業して上記ことをしなくても、研修中には少なくても知っている必要があるだろうなあと思います。家庭医の定義からすると、日本で自分の見る患者のニーズに応える医療ができれば、家庭医と呼ばれるかもしれませんが、AAFPが言うように、ゆりかごから墓場まで、をケアできるものを家庭医とするならば、絶対必要な部分でしょう。ただ、技術的、知識的に身につけるというだけでなく、家庭医マインドの一部として、人間の誕生から終わりまで医療を通じてみていくこと、これがとても大切なことのように思えてきました。日本でも強引にこれらを研修に入れていくようにしなければならないと感じています。人間が人間として生きて行くすべての過程(出産から老後まで)をプライマリケアの視点から見ていくこと、研修することがどれほど家庭医マインドを形成していく上で役立つことか考えさせられた1ヶ月でした。

お母さんは子供がお腹にいるときから子供のことを大切に育てるため、栄養に気をつけビタミン剤を飲んだり、定期的にクリニックへきて健康であることを確かめます。そして、大変な思いをして子供を生み、子供は生まれたときは何も分からないけれど、毎日必死になってミルクを飲み続け、何がなんだか分からないけれど毎日生き続け、お母さんも一生懸命子供の世話をします。そのため毎日のように寝不足になってしまう。でも、お母さんはそれでも決して止めることなくミルクを与え続けます。無事に退院しても子供が心配で何かあるとすぐにクリニックへつれてきます。定期的に予防接種を受けさせて、何とか病気にかからないように頑張ります。学校が始まり、子供がきちんと頑張っているかいつも気にかけています。そして、子供は青春期を向かえ、性の悩みを抱え始めます。クリニックで恋愛について、SEXについての正しい知識を教え、やがて、彼らは自分たちの子供を持つ準備をするでしょう。それまでに何度かの恋愛を繰り返し、悲しい思い、辛い思いをしてまたクリニックへやってきます。中には、薬やアルコールに手を出す人、家族から見放されて非行に走ってしまう少年、Sexual abuseに合い、生活は荒れて、自殺を考えてしまう少女もいます。一方で両親は子育ての悩み、家族の問題で大変悩みます。ある人はお酒やタバコ、薬に手をつけてしましますい、ある人は鬱になり、誰かに助けを求めクリニックへきます。時には、自殺まで考えてしまいます。そういった人たちの心の負担を軽くするために医師はまた奮闘します。孫が出来る頃になると、体のあちこちにガタがきて、クリニックへやってきます。少しでも長く生きたい、健康でいたいと思うからでしょうか。夫婦で仲良くクリニックへ通い、お互いに健康であり続けるための努力をします。そして、最愛の夫、妻がこの世を去り、一人残された者は落ち込み、時には子供、孫たちに励まされながらも、時には薬での治療が必要となりクリニックへきます。そのうち、生活環境の問題などで1人ではどうしても生活できなくなり、老人ホームへ行きます。いつも他人の世話になってばかりで嫌がる人もいますが、どうしようもないので我慢しています。そのうち、熱が出た、尿の出が悪い、食欲がない、などの理由で病院へ運ばれてきます。病院で集中的に治療し、病気が落ち着くと実りある最後を送れるように祈りながら老人ホームへ送り返します。そして、やがては静かに息を引き取るのでしょう。

僕は1ヶ月で実に様々な患者を見て、経験したようです。Narative based medicineとまではいきませんが、患者の節目、節目に居合わせてもらい、そのたびに問診を取っていくとなんとなくこんな感じで人生がつながっているような印象を受けました。

8/27/02

クリニック研修

FPレジデントプログラムの特長とも言えるのがクリニックでの研修を1年目から行っていくことだ。1年目は1週間に1度半日のペースでクリニックがある。僕も研修が始まって数日目にして始めてのクリニックがあった。1年目は1時間に1人の割合で組まれている。大抵、3,4人を午後に見ることになる。まず、1人で患者に会いに行き、医療面接、診察をし、診断、治療方針を立てた後、指導教官にプレゼンしに行く。そして、一緒に治療方針を考えた上で指導教官と一緒に診察室へ戻り、異常所見、治療方針について患者に説明する。その後、ペーバーワークを片付けるとあっという間に1時間がかかってしまう。日本ではとても考えられない診察風景であろう。でも、研修1年目、研修開始数日の僕にとってはちょうどよい時間だし、初めは誰でもそれくらい時間がかかるものだと考えられている。これが2年目、3年目になると1人20分、15分、10分と減っていくわけである。クリニックで診た患者は基本的に自分が主治医となり、3年間見ていくことになる。患者が僕を気に入ってくれれば続けてきてくれるわけであるが、信用を失うとその後もう来ないだろう。だから、言葉の壁があっても何とか安心して続けてきてもらえるよう頑張ってやっているつもりだ。しかし、仮に信用を失ったとしても僕に割り当てられる患者はたくさんいることは非常に有り難いことだと思う。1年目ではおよそ200〜300人の患者を主治医として割り当てられる。その中のすべての患者とまではいかなくてもせめて8割ほどの患者には次回も安心してきてくれるよう印象付けられたらよいと思っている。

SIUの日本人たち

僕はSIUではただ1人の日本人だと思っていたがそうではなかった。今日、ホームステイにきていた30人ほどの高校生たちと偶然病院であり、話を聞いたら基礎医学の方に日本人の先生たちが数名いるらしいことが分かった。午後時間があったので早速会いに行ってみた。微生物学の教授とスタッフとして働いている奥さん、薬理学の助教授、薬理の研究生、と僕を含めて5人もSIUに日本人がいることが判明した。これは僕にとっては非常に驚きであった。レジデントとしてはおそらく僕が初めての日本人であろうが、基礎医学には日本の研究者がかなり前からいたのだ。SIUは日本の新潟県にキャンパスを持っていて本校にはかなり日本人がいるのは知っているが、ここスプリングフィールドは医学部しかなく、日本とはかなり縁のないところだし、日本レストランも1件(鉄板焼き)しかなく、日本人をみることがまずないところだからだ。今日は高校生たちとも基礎医学の先生たちともかなり日本語を喋った一日であった。とてもうれしい日だった。

8/24/02

FPSの当直と休暇

当直は基本的に24時間することになる。朝の7時から次の日の朝7時までだ。その間に普段の仕事、自分の担当の患者を診察し、治療方針を立てるのに加え、新たな入院があるとその診察、手続きをする。そして、自分の患者として退院するまでケアしていくことになる。当直は4日に一度のペースで回ってくる。これは非常によく考えられているペースで、1ヶ月で見ると日曜日から土曜日まで一回ずつの割合で担当することになる。それに加えて大抵4日間あれば、自分の患者は退院していく。そして、担当の患者が少なくなったところでまた当直が回ってきて患者を持つのである。今月は今まで一度8人という大量入院の日があった。1人を入院させるのに、問診、診察、入院オーダー、指導教官への報告、カルテ記載、ディクテーションまでいれると2時間弱かかってしまう。8人は僕にとってはかなりの重労働であることは言うまでもない。その他、夕方5時以降に病棟からFPSで持っている患者についてナースから呼ばれることもしばしばある。大抵の場合は先輩レジデントや指導教官に電話をかけて支持を仰ぐことになる。すばらしいことに朝方に電話をかけてもみんないやな顔せずに応じてくれる。週末の当直は普段よりも仕事が少し増える。普段4人で分担してみている患者を2人で見なくてはいけない。それに加えて入院の手続きがある。金曜日が当直ならば土曜、日曜は完全オフだ。土曜日が当直だと日曜日の午後だけオフとなる。日曜日当直ならば土曜日はオフだ。休日は週末と同じシフトを取る。しかも、平日に比べると平均的に入院患者は少な目らしい。それはアメリカ人の性格かどうか知らないが、病気が悪くなっても週末、休日は我慢して休み、月曜日、火曜日に病院へ来るらしい。

8/23/02


病院とクリニックを駆け回る毎日

アメリカの研修病院は1つとは限らない。FPでは二つの病院と一つのクリニックを持っている。Memorial Medical Center, St.Johne’s hospital, Center for Family Medicineだ。この三つの施設を毎日車で回っている。特に朝は忙しい。二つの病院にまたがって患者が入院しているからだ。すべては一本の道沿いにあるが、移動するだけで病室から病室まで15分くらいかかってしまう。しかもそれぞれが違うコンピューターシステム、ディクテイションシステムを持っているので大変だ。システムと部屋の場所を覚えるだけで2週間くらい時間がかかってしまう。一つの病院は日本に比べるととても大きいのでなおさらだ。当然IDカードも別々の物を持たなければいけない。それぞれの病院には強い分野と弱い分野があるのが特徴でスプリングフィールドでは産婦人科と新生児科、小児科はSt.John’sがすばらしい。当然、これらのレジデントプログラムはSt.John’sに属している。他の科はMemorialに属していることが多い。FPはMemorialをメインとしているが、勤務時間表を元に二つの病院で州から提供されるレジデントのための資金を分け合うらしい。非常に効率的、合理的に考えられていると思った。

8/10/02

朝のモーニングランド

FPSでは毎日朝9時から11頃までモーニングラウンドがある。ここで教育セクションというのが最初の20分ある。レジデントが交代で論文などを持ち寄り、発表しあうのだ。レジデントは全部で5人いるので5日おきに担当が回ってくる。それが終わると、今日の患者のリストを下に指導教官と治療方針についてディスカッションが始まる。SIUのFPでは2つの病院に患者を抱えているので内科のように病棟を一緒に回りながらする習慣がない。逆に朝の9時までに担当の患者を診て回り、今日の治療方針についてある程度自分で決めていかなければいけない。長いと1人の患者をみるのに1時間くらい費やしてしまうため朝かなりの早起きをしてモーニングラウンドに望まなければいけない。おかげですっかりと朝方になってしまった。

8/6/02

長い一日

昨日は当直だった。昨日、今日とPALS(Pediatrics acute life support)を8:00〜4:30まで受講してからの当直だったのでとても疲れていた。それに輪をかけて5人ほどの患者が舞い込んできて診察し、2人を入院させた。1人を診察し、手続きを終えるのに僕は1時間〜1:30分ほどかかってしまう。おかげで夜はほとんど寝むれずに今日の朝を迎えた。今日も一日朝からPALSがあり、実技試験と筆記試験があった。無事にパスしたかと思えば、ページがなり、夕方5時から近くの高校生の健康診断に借り出された。終わって家に帰ると8時を過ぎていた。昨日から24時間+12時間=36時間働いたことになる。これもしっかりとTime recordにつけないといけないと思い、床に就くことにした。また、明日から忙しい病棟へ戻るのかなあ・・・・。

8/2/02

いよいよ研修開始!

7月28日日曜日夜中を過ぎてようやく自分のアパートへたどり着いた。3週間の日本滞在中もいろいろと動き回っていたのであっという間に時間が過ぎ、まるで2,3日で米国へ戻ってきた気分だった。今度は就労ビザを手に入れた。これで本格的に研修を開始できる、と期待と不安を募らせて月曜日のカンファレンスに出かけていった。日本から帰国するやいなや、当直や朝のモーニングカンファレンスでの発表、日増しに増えていく受け持ちの患者の数、などに四苦八苦し、気が付いたら一週間が過ぎようとしていた。

8月に入り、本格的なローテーションが始まった。僕はFPS,family practice serviceからだ。これはfamily practiceにかかっている患者で入院している患者すべてをサポートするチームで指導教官1名、シニアレジデント(3年目)1名、2年目レジデント1名、インターン(1年目レジデント3名)で構成されている。僕は開始早々、初日が当直だった。時差ぼけも加わり、肉体的に非常に大変さを感じたが、幸いにも前回ほどは忙しくなかったし、シニアレジデントが大いに助けてくれた。今日は当直明けで午後からオフであった。帰ってから爆睡し、気が付いたら夜の11時頃だった。5日間がこれほど短く感じたことは学生時代の忙しさを振り返ってみても早々あるものではなかった。この週末は今月で唯一与えられたオフだ。金曜日の午後から日曜日まで完全にオフである。だから、こうして日記を書き始めた。

FPSの患者は様々

この1週間で受け持った患者の多様性に圧倒された。NICUの赤ちゃん、小児の肺炎、小児の熱性痙攣、手術後の内科患者、狭心症疑いの患者、お産と産褥期のケアをした患者、精神科に入院した患者の内科的ケア、2名などなど、family practiceの守備範囲の広さを改めて実感させられた。当然、僕にはこれらすべての患者をケアできる知識は持っていない。1人の患者には何人もの専門医が関与している。FPとして大切なことは全体をマネージすることで、必要なときに適切な専門医と協力し、解決していけばよいのである。とはいっても、それらをカバーする知識や経験だけでも膨大な量があることは容易に想像できる。先輩レジデント、指導教官の莫大な広範囲におよぶ知識、経験に圧倒された1週間であったと共に、自分が果たしてそうなれるのか不安を覚えた一週間でもあった。それに輪をかけたのは同僚のインターンの経験でもあった。僕以外の2人はすでに1年または2年間他でレジデントを終えてこのプログラムへやってきたMaria, Deepaliだ。知らなくても親切に教えてくれる指導教官、レジデントの助けで何とか1週間は生き延びた。これからの3年間自分をどこまで伸ばせるのか、不安もあるが、それ以上に今は期待に満ちている。周りのレベルが高ければ高いほど自分を駆り立てることができる性格だからだ。そして、その環境を求めてはるばる米国まできたのだから。