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家庭医・プライマリケア医のためのアメリカ・米国臨床留学への道
それは一つのとても大きな挑戦です

Obstetrics

3/7/03

月が替わってしまったが、2度目のOBローテーションについてまったくコメントをしていなかったので、忘れる前に少し書いておきたい。

1年目で2ヶ月間のOBローテーションが義務付けられている。OB advanced tractというコース(レジデント終了後、OBをプラクティスに入れる人のためのコース、OBトータル4ヶ月、Prenatal clinic 月2回)を選択しなければ、あとはOn callでOBを担当することがあるくらいで終る。僕はOB tractを選択することにした。理由はいろいろとあるが、日本ではまず経験することのないコースであること、OBという分野が思った以上に感動を与え、興味を持たせてくれる分野であったこと、一人前のFPとして「ゆりかごから墓場まで」をできるだけ実践してみたかったこと、などがあげられる。OB tractを選択すると、3年間で最低150回以上の分娩に立ち会うことになる。

2ヶ月を経て経験した分娩の数はおよそ50回になる。50人の赤ん坊の誕生を見てきたわけだが、不思議なことに、当然かもしれないが、1人として同じ分娩、誕生の仕方はない。母親は様々な形で赤ん坊のために努力し、必死な思い出で出産するという事は共通しているようだ。自分もこんな風にして生まれてきたんだ、母親の苦労は想像を絶するものがあるなあ、と思う。日本ではお産は産婦人科医以外まったくといって関与しない。学生実習でも数例のお産を見学するだけで、自分で赤ん坊を取り上げた経験のある産婦人科医以外の医師は数えるほどしかいないのではないだろうか。これは非常に残念な事だと思う。

生命の誕生の瞬間は、新しい個の誕生とともに、人間が生きている事を感じさせる瞬間であり、人間としての原点を見つめ、考えさせてくれる瞬間でもあるからだ。

1人でも多くの学生、研修医が専門医になる前にこのような経験を積めたらよいと思う。

1/1/03

新年が明けた。大晦日は病院で過ごした。朝から1日朝にかけて仕事だったからだ。1ヶ月の産科ローテーションが終わった。この1ヶ月で学んだことはたくさんありすぎた。そもそも学生中の産婦人科BSTではたった2回のお産しか見なかった。それも遠くから見学しているだけだった。今回は違った。レジデントとして指導教官と一緒に赤ちゃんを取り上げるのだ。合計23人の生命の誕生に出会い、手助けすることができた。その内数人は自分ひとりで取り上げたのだ。一月平均130〜140の赤ちゃんが誕生する病院で病棟にはレジデント1人しかいない。いろいろとすることがたくさんあるのは当然だ。24時間体制のため夜寝ずに仕事をすることもしばしばだった。1ヶ月を終えての素直な感想は産科は思っていた以上にすばらしいし分野だった。生命の誕生、自分では余り意識したことはなかったが、母親はこんなにも苦労して自分を生んでくれたこと、育ててくれたことを改めて感謝した月でもあった。一方で、年齢の若い母親にも数多く出会った。まだ、高校生なのに母親になってしまう人、20歳で3人も子供を生んだ人、経済的な問題を抱えながら身ごもり、出産に至ってしまった人など。それでも出産という巣晴らしいと時を大勢の家族や友達に囲まれ、祝福されているのを見るとやっぱりすばらしいなあ、と思う。すべての赤ん坊が十分な両親の愛を受けることが出来ずに成長していく現実を考えると彼らの幸せを祈らずにはいられない。

12/11/02

今月から産科ローテーションが始まった。僕のスケジュールでは今月から2ヶ月連続のローテーションとなる。産婦人科ではなく産科だ。つまり、分娩を中心とした研修だ。働く時間は24時間、次の24時間は原則的に休みになっていて週に2〜3回の産科当直があり、毎週水曜日は午前中FPクリニック、午後はカンファレンス、日曜日は原則休みとなっている。

今までに3回ほど当直をしたが、分娩は6回ほど、産科トリアージが5回くらいとまずまずの忙しさだ。研修開始前はもっとも苦手な科目であり、経験もまったくなかったので大分心配したが、優秀な看護師たちに支えられて何とかうまくやっている感じがする。看護師たちはほぼすべてを知っていて、僕のような新米研修医はただ言われたとおりに指導教官と連絡を取ったり、カルテを書いたりするのが中心となる。どのような処置をすればよいかはすべて看護師が教えてくれる。だから、病棟に研修医が僕1人だけでも何とか業務をこなせるのだ。ちなみに、山梨大学付属病院の分娩数よりも遥かに数が多いが、研修医は原則1人なのだ。

産科で大変なことは陣痛が始まった妊婦に対して2時間毎にバイタルをチェックし、カルテに記載することが義務づけられているので、夜通し2時間置きに起き続けなければいけないことだろうか。そうすると、翌朝は休みでも午前中はベットで過ごすことになる。それでも産科の楽しさを少しずつであるが、味わいつつある。なんと言っても生命の新たな誕生の瞬間に出会えるのだからすばらしい。自分の母親はこんなに苦労して僕を生んでくれたんだ、としみじみと感じる。

出産の事情は米国も日本も大して違いないと思っていたが、そうでもないらしい。米国では分娩室というものは存在しない。各部屋に分娩のための設備がすべて備え付けられているのだ。そこで家族みんなで出産までの時間を過ごすことができる。保険制度に大きな理由が隠されているのだが、どこの病院でも産科病棟には一番力を入れている。つまり、どこでもきれいで広々としていてとても居心地が良いのだ。ホテル並みの設備が当然のようにある。バス、トイレは個室に完備されおり、テレビ、家族用のソファ、ベットもある。僕が山梨で住んでいたアパート(全部で16畳)よりも広い気がするのは気のせいだろうか。そんな場所で仕事をしているわけでこちらの居心地も良くなってくる。